私ニャニャまるは田舎に住んでいるので移動はもっぱらクルマである

歩道を歩いているのはお年寄りと子供くらい

とにかくクルマでの移動になれてしまうと、近い距離のところでも、ついクルマを出してしまう。

 

しかし、去年からウォーキングをするようになっていつもの世界観が変わってきました

 

今回は・・

 

クルマを運転すること。

 

このことを人生におきかえて考えていこうと思う


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流れに乗らないといけない

クルマを運転するということは公道を走るということ。

 

つまり、自分勝手な運転をしたら警察に捕まってしまう

 

そんな自分勝手な運転の具体例は、

信号無視、スピード違反、駐車違反、など・・

運転で守らなければならないルールは、他にもたくさんある。

 

しかも、制限速度の場合は、速すぎてもダメだけど、遅すぎてもダメである。

 

実際スピードの遅すぎるクルマは、他のクルマにとって非常に迷惑だ

その遅いクルマ一台のために長い渋滞を引き起こすこともある。

 

 

いったん渋滞になると、その先頭1台のためにスムーズな流れがとたんに崩れてしまうことに・・・。

 

 

このようにクルマの運転で大切なことは、

交通ルールをきちんと守りながらも・・

 

他の運転手たちとの流れに乗らなければいけない

 

ということ。

 

つまり・・

 

まわりの迷惑にかからない運転をすること

 

である。

 

 

あれ?

これってなんだか・・

 

そう!

今の社会の流れに似ていないだろうか?

無意識のこわさ

クルマの運転そのものはオートマならば、そんなに難しくはない

たとえマニュアルであっても操作を一度覚えてしまえば脳が勝手に手足を動かしてくれる。

 

そして、クルマは歩くよりも、比べ物にならないくらい速いスピードで進んでいく

つまり、無意識という脳の自動操作でいつもの目的地に素早くたどり着けるのだ。

 

そうなると、日々の通勤、買い物などが、どこかロボット的になってしまう

 

極端なことをいうと、ボーとしていても目的地の会社、スーパーについてしまうのだ。

 

私ニャニャまるは、これって生きていく上ですごくもったいないような気がしてならない。

 

なぜなら、無意識は肉体だけでokだと思うから!

 

私は以前の記事で自律神経の働きについてくわしく書いた
(記事参照:自律神経の謎「全7記事」

 

内容を少しおさらいをしてみると、肉体というのはほとんどが無意識という自動操作で動いている

 

心臓、胃、腸、血液の流れなど・・そのほとんどが自動操作され、私たちが自力で動かせるのは手足の他に呼吸くらいだ
(記事では潜在意識ならば動かせると書いていますが、ややこしくなるのでここでは省いておきます)

 

そして、自分の意志でやっているつもりの食事や排せつや睡眠にしても、生命を維持するための自動操作が働くことで脳から自律神経に命令が入り、私たちはそれに従って動いているにすぎない。

 

このように自律神経が私たちの肉体の働きを自動操作してくれている。

 

そんな自律神経のおかげで、私たちはボーとしていても心臓は動き、血が流れ、そのおかげで死ぬことなく生命維持ができる。

 

このように肉体の生命維持は自律神経にまかせておけばいい

 

つまり、無意識におこなわれてもokなことだ。

 

しかし、

 

心は・・

 

心だけは無意識ではなく、自分で意識的に動かしたいと思いませんか?

 

なぜなら、心の動きは自律神経と密接につながり、無意識に操作されている肉体の働きにも大きく影響を与えてしまうからである。

心を意識的に動かすということ

一部を除いて、そのほとんどの肉体の働きを私たちは意識的に動かすことができない

 

しかし、

 

心だったら、自由に意識的に動かすことができる!

 

そして、

肉体の動きが先か?心の動きが先か?となると・・

 

「病は気から」という言葉があるように、必ず、心の動きが先だと思う
(記事参照:病気は自分の心が作りだしている

 

しかし、私は思う・・

 

現代の私たちはいわば、「ルールずくめの社会というクルマ」にいつも乗っているようなものだと。

 

しかも・・

無意識に!

歩き始めてわかったこと

私ニャニャまるはウォーキングをする以前は、移動といえばいつもクルマだった。

 

だが、ウォーキングをするようになり、クルマを客観的に眺めることで色んなことに気づいた

 

「クルマって勝手な場所に駐車できないし大変だな」

 

「クルマって進入禁止の道とかあるし大変だな」

 

「クルマって制限速度守らないといけないから大変だな」

 

ああ~、そうか、そうなんだ・・

 

クルマから降りてみて始めてわかったけど、クルマって本当にルールずくめなんだよね・・・

 

なにげなく毎日、運転しているけど、それって守るのがとても大変なことなんだ・・と気づいた。

 

 

「社会という名のクルマ」の欠点

私は、そんなクルマを「社会の乗り物」として考えてみた

つまり、実際のクルマではなく、私たちが今生きている社会という名の乗り物として。

 

クルマは素早く目的地に移動できるツールである

 

電車も同じだ

 

乗っているだけで素早く目的の場所まで連れていってくれる

 

要するに・・

 

便利なのだ

 

だけど、今の社会って、この「便利」という利点ばかりが重視されていないだろうか?

 

そして、その便利さを受け取るために、私たちは心までも無意識に操作されてしまっている気がしてならない

 

それなのに、社会のルールずくめの流れにのろうと必死になってしまう

 

🙁  「交通(社会)のルールはきちんと守らなきゃ!」

 

🙁  「適度なスピードで皆に合わせて運転(流行、学業、仕事)しなきゃ!」

 

電車でも・・

 

🙁 「きちんとマナーを守って座席(自分の地位)に座っておかなきゃ」

 

 🙁 「他の人に迷惑(一般常識から外れる)をかけないようにしなきゃ」

 

社会という名のクルマはこのように実際のクルマと同じく、いや、それ以上にルールずくめかもしれない。

 

そして、ルールというのは厳しすぎれば、すごくすごく息苦しくなってしまう。

 

そこで、たまにでいいので、そんな「社会という名の苦しいクルマや電車」から降りてみませんか?



乗り込んだのだから降りることもできる

「社会という名のクルマ」に乗りこんだのは、誰もが「意識的」だったはず。

 

だったら・・

それができたのだから・・

 

降りることも「意識的」にできるはずである。

 

それなのに苦しい社会のクルマからまったく降りようとしない人は

そもそも、

 

 🙂  「降りられるんだ」

 

ということ自体に気づいてない場合が多い。

 

しかし、それでは、無意識に「そうさせられている」状態になってしまう。

 

これでは自力で考える力がなくなる。

 

自力で考えているつもりでも、じつは周りの情報に流されてしまい、そこには自分の本当の意志が存在しない。

 

じつは、「自分の意志がない行動」はラクにみえる

なぜなら、失敗した時は、自分ではなく、他人など外側のせいにできるから。

 

しかし、それは見せかけのラクさであり、いつまでたっても本当の自分にはなれない。

 

現代社会は激流の川

今の世の中はとにかく流れが速い

子育て、学業、仕事、健康、ネット・・など。

 

とにかく、すべての流れが速くて速くて、たまったものじゃない。

 

 「まわりの流れと一緒に進んでいかなきゃ!」

 

「まわりより遅れていたら不安でしかたがない!」

 

このような思いに責められてしまう多くの原因こそ・・

 

「社会という名のクルマ」に乗っているからである

 

具体的にいうと・・

 

■子育て

 🙁 「うちの子はまだ○○ができない!なんとかしなきゃ!」

 

■学業

 😥 「勉強が遅れている!これじゃ試験に間に合わない!」

 

■仕事

 🙁  「今の仕事はいやだけど、とにかく働かなきゃ!」

 

■健康

 😥 「病気をとにかく一刻も早く治したい!」

 

■ネット

🙁  「既読したから、早く返事しなきゃ!」

 

これらは意識的にやっているようで実はそうではないと私は思う。

 

なぜなら、

 

追い詰められた心は、「無意識に動かされている状態」になっていると思うからだ。

 

目的地にたどり着く方法は人それぞれ

まず、何よりも確認しておきたいことは・・

 

「あなたが目的地にたどり着く方法は決してひとつだけではない」

 

ということ。

 

つまり・・

 

いつもいつも「社会というクルマ」に乗っている必要はないのだ

 

しかも、いつでも、あなたの意識ひとつで「降りる」という選択ができる。

 

そこで、たまには、クルマから降りて、「歩いていく」という方法を選んでみませんか?

 

となると、もちろんクルマや電車よりも目的地にたどり着くのは遅くなってしまうだろう。

 

だけど、「社会という名のクルマや電車」のような厳しいルールは存在しない

 

制限速度はなく、ゆっくりと自分のペースで進むことができる

 

駐車違反はなく、ゆっくりと好きな場所で休むことができる

 

なによりも、時間をゆっくりと確認しながら進むことできる

もしも、クルマのバックミラーで後ろに映る過去をジッと眺めていたら、前方不注意で事故に合う危険性があるだろう。

 

しかし、歩きならば、立ち止まって、そして後ろを振り返ればいい

そうすれば、ゆっくりと過去を確認することができる

そして、また前を向いて、ゆっくりと一歩踏み出すことができる

 

つまり、マイペースで動けるのだ

 

そして、それは・・

 

無意識ではなく、意識的に前に進むことができるということ。

 

それには、まず、「降りることができる!」ということを知らなければいけない。

そして・・

勇気を出して、降りてみよう!

 

 

たまには歩く!

生きていく中で、他者との協調性は必ずいる

誰もが、ひとりきりで生きているわけではないからだ。

 

だから、「社会というクルマ」に乗ることは必要なことでもある。

 

だけれども・・

 

常時いつも乗っている必要はないんじゃない?

 

と、私ニャニャまるは思うのだ。

 

 

なぜなら・・

 

人生ってようするに、自分たちが決めた目的地にたどり着ければそれでokだと思うから。

 

 

たとえば、子育てで・・

🙁  「うちの子はまだ○○ができない!なんとかしなきゃ!」

 

と思ったとき、最終目的地を見つめてみてほしい。

 

最終目的地はきっと、どのお母さんも

 😀 「子供が笑顔で人生を過ごすこと」

だと思うから。

 

だとすれば、今の時点で何かを達成することがすべてではないと気づくはず。

 

 

たとえば、ネットで・・

 🙁 「既読したから、早く返事しなきゃ!」

 

と思ったとき、あなたの最終目的地はきっと

 🙂 「相手に自分の気持ちを伝えたい」

ことだと思う。

 

だとすれば、何も急いで返事をする必要はないし、また気持ちを伝える手段はスマホ以外にも電話、手紙などもある。

むしろ、最終目的地に行くためには、その方が良い手段になる場合も多くある。

 

 

このように「歩く」というのは・・

 

あなたが今、無意識に乗っている「社会という名のクルマ」から降りてみるということ。

 

そうすれば結果的に、本当に自分が望んでいる最終目的地にたどり着きやすくなるのだ。

 

実際どうすればいいのか?

では、実際どうやったら「社会のクルマ」から降りることができるのだろうか?

 

もちろん、その方法は人によってちがう。

なので、あなた自身でそこは考えてみてほしいと思う。

 

参考までに、私ニャニャまるの方法は、

 

実際に、「歩くこと」。

 

ただし、学校へ行く、会社に行く、買い物に行く・・などなど、そのような目的なしに歩いてみる。

 

なぜなら、目的がある場合、どうしてもそのことに思考がいってしまい、それが邪魔になるからだ。

 

目的もなく、ただただシンプルに「歩くのみ」。

 

両手は基本手ぶらで。

荷物は最小限に、水分補給の飲み水と、少しの小銭だけ。

 

そして、五感をできるだけフルに使って歩くことだけに集中する。

 

季節ごとに変わる日差しのぬくもり

風の爽やかさや湿度

土や植物のにおい

時間ごとに変わる、街中の音

空の青さや雲の動き・・

 

 

 

クルマに乗っているときは、感じることができなかった些細な動きを五感を通して全身で受け取ってみる

(記事参照:五つの感覚をフルに使ってストレスに強い心と身体になる!

 

 

 

そして、たまには立ち止まり、歩いてきた道とこれから歩いていく道を眺めてみる

すると、目には見えないはずの時間が視覚的にわかる。

 

いま立っている場所が現在で・・

振り返り、さっき通り過ぎたショップの前、そこが5分前の過去で・・

そして、

これから歩いていく先にある信号機、あそこが5分後の未来で・・

 

 

このように、自分のペースで歩いているからこそ、見えない時間という流れも、目で見て確認することができる。

 

これが私の好きな「歩き方」であり、

社会という名のクルマから離れて、自分の位置を確かめる方法にしている。

 

他にも、社会という名のクルマから離れる方法はたくさんあるはず。

でも、共通点としていえるのが、

 

「普段とちがうことをする」

ことである。

 

あなたもぜひ自分だけの方法を見つけてみてほしい。

たまには世の中の流れから外れてみよう!

あなたの人生はあなただけのもの

そして、たった一度きりの人生です。

 

確かに肉体の働きは、自由にコントロールできない。

 

でも、心だけは意識的に動かすことができる。

 

だったら、今日から実行してみませんか?

 

心が無意識を動くのを制止させ、意識的に動かす

 

そのためには、

 

「社会という名のクルマ」から、たまに降りてみること。

 

つまり・・

世の中の流れから外れてみること。

 

心を意識的に動かすことができれば、肉体のはたらきも必ずついてきます。

それは、肉体の健康にとっても大切なこと。

 

激流の今の社会だからこそ、たまには外れてみてください。

 

そして・・

ゆっくりと、一呼吸ついてみてください。

 

今回も読んでいただき、ありがとうございました 🙂

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