5つの感覚とは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、のことである。

これらをまとめて五感とよぶ。

しかし・・

現代は五感のうち、「見る」というひとつの感覚にあまりにも頼りすぎ、アンバランスになっていないだろうか?

今回の記事では五感がアンバランスになると何が良くないのか?

そして心と身体にどのような影響が出るのか?

というテーマである!


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五感は心で感じるもの

私たちの身体は、つねに環境の変化に合わせていけるシステムになっている。

たとえば、夏になれば、高くなる気温に合わせて汗をかき、放熱して体温を下げようとする。

他にも、湿度、光、におい・・と環境は一分一秒変化している。

 

それらの変わり続ける環境に合わせるために、まず必要なのが五感からの情報だ。

 

しかし、この五感のバランスが鈍くなったり、かたよったりするとどうなるだろうか?

環境の変化に対して正確に合わせることができなくなり、バランスを崩してしまうことに・・。

 

それは身体だけでなく精神のバランスも崩すことになってしまうのだ。

 

😯  「ん?なぜ精神も?」

 

それは・・

五感とはただ単に環境の情報を受け取るセンサーの役目だけではない。

 

まず心があって、はじめて感じるものではないだろうか?

 

たとえば、綺麗な花に接する時、見る(視覚)だけではなく、香りをかぎ(嗅覚)、

花びらが揺れる風を肌で感じ(触覚)、耳でかすかな音を聴いて(聴覚)・・情報を受け取る。

 

このように、感覚というのは、ひとつでは独立できないものなのだ。

複数の感覚と一緒に感じることで豊かに受け取れることができると私は思う。

心ひとつで情報は変わる

日本人は昔から四季という環境の中で、移り変わっていくものを五感を通して感じてきた。

俳句、茶道、華道、和食など、日本人の感性は豊かで繊細である。

だけど、今はとても便利な世の中になった反面、いつの間にか、どこかに心を置き去りにした感覚のみになってないだろうか?

何度も言うが、感覚とはただ単に脳へ、環境の情報を伝えるツールではない

たとえば、あなたはこのふたつの違いがわかるだろうか?

 

「美味しい物を食べる」

「美味しく物を食べる」

 

このふたつには決定的な大きな違いがある。

「美味しい物を食べる」という感覚はどんな食べ物でも良いというわけではない。

そして、美味しい物を食べれたとしてもさらにまた美味しい物が食べたくなってしまう。

その欲求は止まることなく、そして食べ過ぎにつながってしまう。

 

一方、「美味しく物を食べる」というのは、何もご馳走でなくてもいいわけで・・

ただのお茶漬けであっても、そこに心が入ることで、どんなご馳走よりも美味しい味がする。

そして空腹感と同時に心も満たされるため、欲求は自然とおさまる。

 

花も同じである。何も華やかなバラだけが美しく見えるわけではない。

コンクリートの間から咲いている、いつ人に踏まれるかわからない小さな小さな花でも、心を込めて見つめると、一転して、どんなバラよりも美しく見える。

つまり、感覚とは心ひとつでその情報が瞬時に変わってしまうものなのだ。



人間はロボットにはなれない

「心が入っていない感覚のみで行動する」ということは、つまり、あらゆる機能をもったロボットと同じじゃないかな?と思う。

朝が来たから起きる、朝食を食べて、電車(クルマ)に乗って、周りの景色に気づくことなく、

時計を眺めては、つねに時間に追われて会社や学校へ行く。

 

このような生活を毎日繰り返していれば、じょじょに身体だけでなく心も悲鳴を上げてしまう・・・・

なぜなら、どんなにロボットのように生きようと思っても、絶対に人間はロボットにはなりきれないからだ。

アンバランスになる原因

現代人の五感のバランスを崩している原因は「見る」という視覚

 

なんと全ての五感のうち、80%も占めているといわれる。

 

ひと昔前のテレビの登場に始まり、そして今では、パソコンやスマートフォンなどのネット環境が私たちの生活を大きく変えてしまった。

いつも目で物事を追っては、それを頼りに判断をしていく・・・

 

確かにスマートフォンなどのツールはとても便利だ。

なかでも、人と人とのコミュニケーションツールとしては、もはやなくてはならないものだ。

 

だけど、それはリアルでのコミュニケーションにも役立ってる?

 

答えはNOだと私は思う。

 

これだけ、間をおくことなく他人と意志を伝え合っているのにも関わらず、リアルではコミュニケーション障害に悩む若者が多いのはなぜ?

スマホに依存する高校生が以前、テレビでこのようなことを話していた。

 

🙂 「スマホでやりとりする方が、相手の心がわかりやすいし安心できる」

 

🙁 「実際に相手を目の前にすると、何を考えているかわからないから怖くて心を開けない」

 

なぜこんな不安定な感覚になっちゃうんだろう。

それは「見る」というひとつの感覚だけに頼りすぎてしまっているからではないかと私は思う。

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タブレット画面の相手が本当に心から笑ってるの?

たとえ、文字で「うん」と答え、明るい顔文字や、かわゆいスタンプを送ってきたとしても、それだけの情報では把握できない。

 

しぐさや雰囲気は画面の文字だけではわからない。

 

表情を見て、相手から伝わる波長を肌で感じて、やっと把握できると私は思う。

画面から目を離して、リアルに目の前に立っている相手に向き合わなければ、複数の五感を使って感じることができないのだ。

五感をフルに使いまくる

使わない機能は鈍くなり衰えていく・・・

そして人間はロボットになりきれないために、感覚のアンバランスで病気になりやすい身体になってしまう。

そしてストレスが溜まる原因にもなる。

 

🙁 「じゃ、五感を取り戻すにはどうすればいいの?」

 

それはひとつの感覚に頼らずに複数の感覚を同時に使うこと。

1.語りかけるように見る
2.見て、匂いを感じて食べる
3.耳を傾けるように聴く
4.深呼吸するように嗅ぐ
5.全身で感じるように触れる

これらは何も自然豊かなリゾート地に行かなくても、普段の日常生活の中で今からでもすぐにできることばかりで、日々の生活の中でいくらでも感じることができる。

 

■道路わきに咲いている花を語りかけるように見る。

 

■食べ物の色合い、においを楽しみながら食べる。

 

テレビ、スマホの音を消して、外の雨の音に耳を傾けてみる。

 

■公園で大きく深呼吸して木や土の香りをかぐ。

 

■日の光に手をかざしてぬくもりを感じてみる

 

毎日が一期一会

五感をフルに使って、まわりの環境に接するようになると、

 

同じ日は一日もない

 

ということに気づく。

同じ空の色の時は一度もなく、同じ雲の形をしている時も一度もなく、風の吹き方も、花の色も、木の色も、、

そしてすれ違うだけの人たちも・・

 

毎日毎日、すべてのものが、大切な一期一会なんだよね・・

 

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心で感じる

人は、イライラした時には頭が痛くなる。

そしてあれこれ考える時には頭をかかえてしまう。

 

逆に嬉しかったり、相手と強く共鳴した時は、胸のあたりがジーンと熱くなる。

 

今、多くの人は頭をフルに使いまくり、物事をすごーく深く考えすぎちゃっていないかな?

 

私ニャニャまるが大好きな言葉がある。

元はあのブルースリーが映画「燃えよドラゴン」で言ったセリフらしいんだけど・・・

 

考えるな感じろ

Don’t think.FEEL!!

 

・・・・まぁ~、もうあれこれ深く考えずにこれでいいんじゃないだろうか?

 

➡ 五感はまず心で感じる
➡ 心ひとつで受け取る感覚は変化する
➡ 同じ日は一日もない

ニャニャまるのひとりごとはこちらから