私たちはなぜストレスがこうもよくたまるのだろう。
なかでも人間関係においてのストレスが本当に大きい。
そのストレスを起こす原因のひとつに他人に対して「してあげている・してあげた」という思いをもっていることがあげられる。
これは無意識の場合が多く、だからこそ、他人との間にストレスが起きても気づくことが少ない。
というわけで、今回は「ストレスから離れる方法」として、このことを詳しく探ってみよう!
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肩書きがあると豹変する
私たち日本人は世界の中ではおおむね謙虚な人種として知られている。
しかし、そんな穏便で優しい日本人も肩書きによって豹変することがある。
そのことがよく理解できるのが「お客」という肩書きを持った時だ。
「お客様第一」
「お客様は神様」
という日本の昔ながらの商売心得が浸透してしまったせいが大きいと思われる。
しかし、言っておきたい。
決して・・・・
「お客様は第一ではない」
「お客様は神様ではない」
「してあげている・してあげた」が生む不満
お店で買い物をする時、心のどこかで「このお店で買ってあげている」と思っていないだろうか?
こう思っている態度は、支払いの時によくあらわれる。
レジでの清算時、店員さんから「ありがとうございました」と言われて、「こちらこそ、ありがとうございました」と返す人はほとんどいない。
よくて「どうも~」くらいである。
でも待ってほしい。
あなたはその時、お金だけを支払いましたか?
そうではなく、欲しいものを手に入れましたよね?
今夜食べる夕飯のおかず、欲しかった文房具、乗りたかったクルマ・・などなど。
お店側はあなたが物を買ってくれたおかげで利益を得た 🙂
同じく・・
あなたもお店が物を売ってくれたおかげで利益を得た 🙂
つまり、立場は対等。
何よりお互いが嬉しい状態なのである 😀 😀
それをもたらしてくれた相手にはお互いがお礼を言い合う。
それが普通ではないだろうか?
つまり・・
「お客様第一」ではなく、「お互いが第一」
「お客様は神様」も、利益をもたらしてくれるのが神様というのならば、同じように利益をもたらしてくれたお店も同じであり、「お店も神様」ということになる。
「リスク回避」と「利益」は同じこと
世の中ではよく「お金をもらってもお礼を言われるのは医者だ」と言われる。
人は、品物をお金で払ってもお礼は言わないのに、医者にはお金を払っても診察の後、きちんとお礼を言う。
昔は担当医師に個人としてお礼のお金を包んで渡していたくらいである。
なぜなら、人は、利益に喜ぶよりも、リスクを恐れる傾向があるからだ。
「体調が悪い」という状態は生きていく上で大きなリスクである。
それを助けてくれた医者に対しては素直にお礼の言葉が出てくる。
しかし、「利益を得たこと」も、「リスクがなくなった」ことも、
じつは両方とも受ける感情は同じ「喜び」なのだ
そう考えると私たちは日々の中でもっともっとたくさん「ありがとう」を言いたくなる場面が増えてくる。
「してあげている・してあげた」では「ありがとう」が出ない
私たちが人間関係でストレスを生む大きな原因のひとつが「してあげている・してあげた」という思いだ。
このような思いで行動すると、「相手から感謝されて当然」という気持ちがベースとして固定される。
すると、「相手から感謝されない」という事態になると、不満の感情が湧き出す。
さらに、感謝されるべきところで逆にひどい扱いを受けた時は不満を通り越し怒りとなる。
このことは「人間関係の消えない不安をしずめる方法」でも書いたが、
あなたが他人に対してする行動や言動が、感謝されるため、気に入ってもらうためだとしたら、
その結果に見返りがないと、大きな不満や怒りを生み出すことになる。
たとえば、電車内でお年寄りに席をゆずった時・・
🙂 「どうもありがとう」
と感謝されたら嬉しいし、また同時に当然だとも思う。
しかし
👿 「年寄り扱いするな」
などとひどい言葉をかけられると、不満を通り越して怒りが沸くだろう。
ここで、「してあげた」という動機ではなく「自分のためにした」と思っている人は、お年寄りの態度に悲しい気持ちになりはしても、強い怒りまでは沸かない。
なぜなら、自分がしたくてしたことなのだから・・
そう、私たちは「自分がしたくてしている」ことに対しては不満がなくなる。
ひどい対応にも、カッとした怒りではなく、悲しいという気持ちが先にあらわれるようになる。
人間関係のストレスから離れるには「してあげている・してあげた」という気持ちから離れることが大切なのだ。
感謝や思いやりの言葉は自分に言っている
私の体験談なのだが、以前、病院に行ったときの会計での事である。
そこは大きな病院なので会計事務員さんが3人いる。
並んで待っている間、その3人の事務員さんの患者への応対を眺めているとあることに気づいた。
■左側の事務員さんは、清算が終わったあと、下を向いたまま「お大事に」と。
■真ん中の事務員さんは、清算が終わったあと、顔を少し上げて「お大事に」と。
■右側の事務員さんは、清算が終わったあと、患者さんの目を見ながら「お大事に」といったあと「気をつけてお帰りください」と。
しかも素敵な笑顔で。
患者さん側はどうかというと・・・
左側と真ん中の事務員さんから清算を受けた人は、会釈程度で去っていく。
しかし・・
右側の事務員さんから清算を受けた人は、会釈だけでなく笑顔で応える人がいる 🙂
さらに、嬉しそうに「どうも」と手を上げて去っていくおじいさんもいる 😀
もちろん何も言わず会釈程度で去っていく患者さんもいた。
しかし、右側の事務員さんの言葉や笑顔は誰に対しても変わらない。
「素敵だな・・」と私は思った。
同じ職場、同じ業務をしているのに、この3人の事務員さんの生き方の違いまで見えたような気がした。
右側の事務員さんは、もちろん患者さんを思って、言葉と笑顔にあらわしているのだろう。
だが、それよりも、自分自身のためにしているんだろうな~ということにも気がついた。
そもそも「してあげている・してあげた」という気持ち自体がないんだな・・と。
お釈迦様の「自利利他」(じりりた)という言葉がある。
意味は、自分の利益は他人の利益、他人の利益は自分の利益。つまり・・
「幸せになりたければ相手を思いやること。相手の幸せを思いやって、かけた言葉や行動は必ず自分自身への思いやりとなって返ってくる」
ということである。
今日から早速たくさんのありがとうを!
今までは「してあげている・してあげた」と思って行動していたことも、自分のためにしていると思えば、自然と相手にお礼が言いたくなってくる。
だって、それは、色んな形の利益となって、自分の元にもどってくるのだから!
早速、今日から、今から、たくさんのありがとう!を実践してみよう。
いつも帰りに寄るスーパーでの清算時、レシートを受け取ったら店員さんに「ありがとう」と。
帰りの運転中に、他のクルマに道を譲った時は、声が相手に届かなくても「こちらこそありがとう」と。
今まで、感謝されて当然だと思っていた場面で、その発想を180度転換させて、逆に感謝してみよう。
決して、相手に気に入られるためではなく・・
決して、相手に感謝されるためではなく・・
あなたが、みずから、やりたくてした行動は、「してあげた」という発想にはならない。
むしろ、相手への感謝の気持ちが自然と生まれる。
それが、すべての人に尊敬を払い、ただの一人にも媚びるべからず
・・ということだと私は思うのです。
ぜひ、今日から「してあげている・してあげた」という思いから少しずつ離れてみてください。