私が子供の頃は塩といえば精製塩、つまりイオン交換膜法の塩だった。
今のようにスーパーに行けばたくさんの種類の塩が置いてあり、自由に買える時代ではなかった。
塩が自由化されたのは1997年である。
ほんのつい最近まで、日本国民は国が決めたとおりにイオン交換膜法の塩を摂り続けていたのだ。
では、日本の塩はどのような流れで、自由を奪われ、そしてその自由をどうやって再び取り戻したのだろうか?
現在の日本の塩事情を深く理解するには、かつて起こった塩運動のことを知る必要がある。
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国による塩専売制度の開始
1971年、国は塩専売制度により、日本国中の塩田を廃止した。
海外から輸入される安価な塩に対抗するため、手間がかかりコストもかかってしまいう国産塩をやめて、イオン交換膜法に切りかえたのである。
ご紹介してきたように日本は昔から藻塩式→揚げ浜式→入浜式→流下式と、工程はちがえども、純粋に海水を煮詰めて、ミネラルをふくんだ塩を作ってきた。
しかし、
1972年からは、塩化ナトリウム99.6以上という、不自然な塩を作り出すイオン交換膜法に独占された。
同時に始まった反対運動
制度の開始から、同時に昔ながらの塩田を守ろうとする運動も始まった。
製塩法がイオン交換膜法に変わると、その精製された塩に疑問を持つ学者や消費者が集まり、
昔ながらの塩田で作られる塩を求めて、自然塩復活運動が始まりました。
1971年(昭和46年)、愛媛県では日本自然塩普及協会が発足して、自然塩運動が始まり、
5万人の署名を集めて関係省庁に提出するなど活発な運動が展開されました。
しかし、このような反対運動や署名がおこなわれても塩専売制度は開始された。
理想の塩を求めて
国が決めたこの塩専売制度は、皮肉にも「本当に身体に良い理想の塩はなにか?」という答えを求めるきっかけにもなった。
1972年には理想の塩を研究すべく食用塩調査会が結成された。
その調査の結果、塩田が廃止になる寸前の塩でも高純度ナトリウムになりつつあったことが判明。
この調査により、本当に身体に良い理想の塩にするには、日本が昔からおこなってきた方式を復活させる必要があることがわかってきたのだ。
塩専売制度の中、10数年間にわたり研究は続けられ、ただ単に昔ながらの方式の製塩の復活にとどまらない未来の理想的な塩の開発が続けられた。
しかし、塩専売制度の壁があり、自由に理想の塩を作ることができず、そこで再生自然塩が生み出される。
これは高純度ナトリウムの安い輸入の天日塩に、ニガリを加えることで昔ながらの自然塩に必死になって近づけようとしたのだ。
これら再生自然塩は、本来ならば勝手に製造販売は許されないが、特別に特殊用塩として認められた。
このようにして作られた再生自然塩で有名なのが伯方の塩である。
伯方の塩は、伯方の~といっていながらメキシコやオーストラリアの輸入塩を原料にしているとよく批難されているが、その誕生の裏には、塩専売制度という壁が原因だったのだ。
ちなみに伯方の塩は1997年の塩専売制度の廃止の後にもそのまま同じ製法を続けている。
1997年(平成9年)3月の「塩専売法」の廃止で海水からの直接製塩、
2002年(平成14年)4月からの「塩の自由化」で輸入の規制が緩和され独自での輸入が可能になりました。
が、当社では「安定した品質の製品が安価ででき、しかも、二酸化炭素の排出が少なくてすむ」との理由から
現在も輸入天日塩田塩を日本の海水で溶かしたものを原料としています。引用元: 伯方の塩 公式サイト
このような理由から伯方の塩は1997年以降も輸入の塩を原料とした再生自然塩を作っている。
塩専売制度が廃止になり自由に!
1997年、多くの人の努力によって塩専売制度が廃止になった。
これにより国内ではまた自由に塩の製造販売ができるようになった。
このような経過があって、私たちは現在、やっとさまざまな塩の中から好きなものを選べるという自由を得たのである。
自由に選べることを健康につなげる
自由に塩が選べるようになったということはそれをやっと健康につなげることができるようになったことでもある。
精製塩は工業用には適していても、海とは違う不自然な塩であり、人間には適してはいない。
このことをしっかりと認識してから、健康のための減塩も考えていかなくてはならないのだ。
そして何よりも、人間の体内で塩が具体的にどのような働きをしているのかを知らなくてはならない。
次回、「8.体内の塩の働き」つづく・・・