「塩」とひとくちに言ってもさまざまなものがある。

 

どんな塩でも海がふるさとだが、採取場所、工程がちがうため、すべてが同じということはない。

 

皆さんもスーパーに行けば多くの塩が売っているため迷うことがないだろうか?

今回はどんな塩を摂れば一番良いのかを知るためにも、まず塩の種類について学んでいこう!


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さまざまな場所に存在する地球の塩

生命にとって不可欠な塩は地球でさまざまな形として存在している。

 

海の水に溶け込んでいる塩

陸に閉じ込められている塩

湖に溶け込んでいる塩

 

などなど・・。

私たち人間は、塩が生きていくために絶対必要なため、これらの場所から塩をとり出してきた。

日本人にとっては塩というと「海から生産するもの」というイメージがあるが、世界的に見ると海が陸に閉じ込められてできた岩塩の方がポピュラーである。

世界で生産されている塩は、年間で約1億8000万トン。

このうち、海水で生産される海塩は4分の1しかない。

 

 

他の4分の3は岩塩であり、欧米などでは、海塩sea saltはあまり見かけない。

 

では、そもそも塩とはどんな物質なのだろうか?

 

身近にありすぎてあまり深く考えることもないこの塩の正体をくわしくみていこう。

塩にはたくさんの種類がある

では、塩の種類をひとつひとつ詳しくみていこう。

 

■岩塩(がんえん)

岩塩は世界でもっともポピュラーな塩だ。

太古の昔、もともと海だった所が地殻変動などで閉じ込められ、海水が蒸発し、塩の湖ができ、ついには完全に乾いて塩のたいせき層ができる。

さらに長い年月がたち、地中に含まれた塩は岩のように固くなる。これが岩塩である。

つまり岩塩は太古の昔の「海の化石」といえる。

 

湖塩(こしお)

湖塩(こしお)とはその名の通り湖の塩である。

世界的に有名なのは南アメリカのウユニ湖。

もともと海だった所が地殻変動で閉じこめられる。

その後の氷河期を経たあと、気候は再び暖かくなり、氷河は溶けて水になりながら塩分も溶かして盆地にたまった。

そして現在のウユニ湖は、雨季になると湖に雨水が流れ込んで濃い塩分の湖になる。

乾季になると、湖の水はほとんど干上がり、塩の結晶でできた真っ白い大塩原になるのだ。

 

海塩(かいえん)

日本人が昔から摂っていたのが海水から生産する海塩だ。

岩塩や湖塩は自然現象ですでに塩の形にはなっている。

しかし、海水はそうではない。

海水から水分を蒸発させて塩をとり出す必要がある。

さまざまな工程方法

岩塩、湖塩、海水などが原料となり、それをさまざまな工程で塩を生産していく。

塩のことを詳しく知るには、これらの原料はもちろんだが、その後の工程が重要である。

なぜなら、原料がいくら同じ岩塩であっても、海水であっても、工程がちがえば出来上がる塩の成分も味も変わってしまうからだ。



塩作りに試行錯誤してきた日本

日本はグルッと海に囲まれているため、海水がとり放題であり、塩がたくさん生産できるようなイメージがある。

しかし、それはちがう。

確かに原料となる海水はいくらでもあるが、塩を生産するには、余分な水分を蒸気で飛ばして結晶にしなければならない。

 

それには多くの燃料と手間が必要なのだ。

 

塩は人間が生きるためには欠かせない。

日本人がどうやって昔から塩を生産してきたかを知ると、いかに私たちの祖先が知恵をふりしぼって塩を手に入れてきたかがわかる。

 

そもそも日本は海水はとり放題でも決して塩作りには適していない。

 

その理由は以下のふたつ。

1.海水を乾かすための塩田は広くて平らな場所が必要だが、日本は傾斜が多い地形で平らな場所が少ない。

2.海水の水分を蒸発させるには、太陽と風の力が必要なのに、日本は雨が多く湿度も高くて適していない。

 

このように日本では海水から塩を生産するにはまったく適していないのだ。

しかも、他の国のように岩塩もなければ塩の湖も川も池もない。

となると、

 

なにがなんでも海水から塩をとるしか方法がない。

 

日本人は知恵をしぼり、塩の生産を、海だけの作業ではなく、山との連携プレーで営んでいく。

海と山との関係

海から塩をとりだすには、濃い海水を大きな釜で煮詰め、水分を飛ばす必要がある。

濃い海水を作り出す工程はあとで詳しく説明するとして、まずは燃料を先に考えてみよう。

 

日本は海をグルッと囲まれた島国であると同時に、背骨のように山がつらなった、山の国でもある。

海水を煮詰める燃料はこの山から薪を切り出して使われた。

したがって、塩作りの作業は山に住む人たちの協力がかかせないのだ。

山に住む人が木を切って川へ流す。

下流に流れてきた木の薪を燃料にして海に住む人が塩を作る。

出来上がった塩を山に住む人に届る。

このように、海に住む人と山に住む人は、燃料と塩を交換した。

塩を煮詰めるための薪に使う木は塩木(しおぎ)とよばれ、いまでも日本各地に「塩木」という地名が残っている。

生命に欠かせない塩を運んだ道

山に住む人と海に住む人の連携プレーで作られた塩は、海から山へと届けられ、その道も自然と賑わうようになった。

それが「塩の道」である。

新潟県の糸魚川(いといがわ)と静岡県の相良(さがら)を結ぶ街道は塩の道として古くから有名だ。

 

 

海外にも塩の道はあるが、日本にも昔から塩の道があり、海と山の人々をつなげたのである。

それは塩という生きていくために絶対に欠かせない物資を運んでいたので、「いのちの道」ということにもなる。

 

では、日本人は具体的にどのような方法で海から塩を生産してきたのだろうか?

 

次回、「5.日本の塩作りの方法と歴史」つづく・・・