日本の川はとても急だ。
でも、私はそんな日本の動きのある川がとても好きだ。
水墨画は墨の濃淡で川の流れをあらわす。
対して、外国のゆったりとした川を描いた西洋画は、川面のキラキラした光をあらわす絵が多い。
どちらも好きだけど、私はやっぱり動きを感じる方が好きだ。
枯山水も同じだ。
あれは砂で川の流れをあらわしている。
岩を置き、流れが変わり、また合流する砂の動きがリアルで楽しい。
本当に日本の川ならではの芸術だなーと感心する。
自然を敏感に受け止めて生きてきた日本人。
現代の私たちが、川を大切にするヒントがそこにあるような気がしませんか?
今回は昔から日本人がどのように水とつきあってきたか?を探っていく。
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日本の水田作り
日本にお米がもたらされたのは紀元3、4世紀頃。
いくら日本の気候が稲作に向いていたとしても地形はどうだったろうか?
列島のほとんどが山地であり、平地が少ない日本。
ということはそのほとんどが斜面だ。
この斜面がたくさんある地形に日本人は稲作に挑んでいった。
水は上から下に流れていく。
決して上がっていってはくれない。
水田を作っていくには、まずこの水の流れに従っていかなければならない。
水の自然な流れに逆らわず、そのまま従って水田を作っていった。
だが、せっかく頑張って稲を育てても、嵐がくれば収穫間近であってもすべてが台無しになった。
日本人はこれを何度も経験してきたはずだ。
そして・・・・
水の流れにも、自然にも決して逆らえない
ということを強く悟ってきたのではないだろうか?
水田耕作の経験で日本人と水の付き合い方の基本的な姿勢ができあがっていく。
避けるのではなく受け入れる
自然には逆らえない。
かといって、そのままでいれば、水害などで被害を受けることになる。
そこで日本人が考えたのが、
避けるのではなく、受け入れるという考え方。
たとえば江戸時代。
この頃は市内にたくさんの堀が作られていた。
江戸はもともと大半が海だったため、土を埋め立てて平地が作られた。
堀川は埋め立てた湿地帯から水を抜くためと、物資を運ぶ水路として作られた。
だが、もうひとつ大きな役割があった。
それは高潮が押し寄せたとき、縦横無尽にはりめぐらせた堀に水が入り、エネルギーをやわらげるクッションにさせるのだ。
自然に逆らわずに、むしろ受け止めて、そのエネルギーをやわらげる。
このように、自然と対立しても、逆らえないことを水田耕作の経験から熟知していたからこそ、逆らわず、自然と順応していこうとした。
水に感謝しならがらも恐れ、そして敬意をもって付き合ってきたのだ。
たくさんある水のことわざ
日本人の水に対する思いがわかるのが昔ながらのことわざである。
水や雨のことわざはたくさんあり、意味が深く教訓になる。
■行雲流水(こううんりゅうすい)
流れていく雲や水のように、形が自然に変化していくたとえ。
物事にこだわらず、自然のままに生きること
■水清ければ魚すまず(みずきよければうおすまず)
あまりにも綺麗な水にはかえって魚がすまないというたとえ。
人間もあまりにも真面目で心が綺麗すぎてもかえって人がよりつかない
■雨だれ石をうがつ(あまだれいしをうがつ)
一点めがけて落ちていく雨だれは石でも穴を開ける力があるというたとえ。
たとえ小さな力でも的をしぼって根気強く続ければ達成できる
■雨降って地固まる(あめふってじかたまる)
雨は嫌がられるがその後はさらにしっかりとした状態になるというたとえ。
イヤなことがあっても、そのことがあったおかげで強くなれる。
■行く川の流れ(ゆくかわのながれ)
川は絶えることなく流れていくが、元の水ではないというたとえ。
命のはかなさ。そして瞬間瞬間に変わり元の姿ではない。
このように、水のことわざはたくさんあり、昔の人々が水を教訓にして自分たちの生活にあてはめてきたのがよくわかる。
ちなみ私が好きなことわざは・・
■上善は水のごとし
ラクでもっとも良い生き方は水のようになること。
水はいろんな形にかわるが、水という本質は変わらない。
水はいろんな物を溶かすが、水という本質は変わらない。
私は自分がこうだ!と思ったらそれにこだわる方だ。
それは自分のこだわりを守らなければ「壊されてしまう!」と怖かったから。
でも、それは勘違いであり、たとえこだわりを捨てて、他のものを受け入れても、自分は変わらない。
もっとラクになれるんだ・・と、このことわざに教えてもらいました。
このようにたとえにもわかるように水は本当に奥が深い。
しかし、水はまだまだ神秘的な奥深さを秘めている物質なのです!
次回、「5.水は心を映す鏡」つづく・・・