人間と地球は水でつながっている。

 

人間が自然界で身近につながっているのが川の水である。

だが、川といっても場所が変われば、見た目も性質もちがう。

 

今回の記事では、日本の川と、海外の川のちがい。

そして、今その川がどんな状況になってきているのか?を考えていきたい。

 

人間の体に流れる血が川ならば、地上に流れる川も、地球の血なのだ。

 

地球が健康にならなければ、人間も健康になることはできない。


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日本はじつは水不足の国

日本は列島であり、グルッとまわりを海で囲まれている。

地形は基本的に山が多く、平地が少ない国だ。

山が多く平地が少ないということはどういうことだろう?

それは、川の段差が激しく、長さは短く、そして流れが速いということだ。

 

 

広い平地が広がるフランスのセーヌ川のように、幅の広い、流れのゆったりとした川とはちがう。

さらに、長さが短くて流れが速いということは、利用する前にドンドン海に出ていってしまうという欠点がある。

 

日本は確かに年間降水量は海外の国に比べてとても多い。

しかし、実際は、その降水量は梅雨の時期と台風の時期に集中してしまっている。

 

年間を通してまんべんなく降ってくれればいいのだが、このように集中して降られても、ほとんどがすぐ海に出ていってしまう。

 

日本はじつは水不足な国なのだ。

 

私たち日本人は、まず、このことをしっかりと頭にいれておかねばならない。



川をゴミ捨て場に・・

ことわざに「水に流す」というのがある。

意味は、「なにかイヤなことがあってもなかったことにする」ということだ。

でも、これは流れの急な日本の川だからこそ生まれたことわざである。

流れがゆったりとした外国の大きな川では、なにかを捨てても速く流れていかないために、「水に流す」のたとえにならない。

実際、江戸時代では、川はゴミ捨て場として使われていた時がある。

流れが速いために、捨てたゴミはあっという間に見えなくなっていく。

川は江戸庶民にとって便利なゴミ捨て場だった。

しかし、その惨状をみかねた幕府が、紙一枚たりとも流してはならぬ!と禁止した。

 

そんな江戸時代から、何百年たった今はどうだろう?

今でも川にゴミを捨てる人があとをたたない。

 

🙁「だって、江戸時代の人も捨ててたんでしょ?」

 

確かに江戸時代の人も禁止令が出るまでは川をゴミ捨て場にしていた。

だが、捨てていた物を考えると、ほとんどが自然に還るゴミだったではないだろうか?

現代はプラスチックや、洗剤など、自然に還ることができず、他の生物に影響を与えるものがほとんどだ。

 

川が汚れることは地球が汚れること

 

川は地球の血

 

きれいでなければ地球も健康を保てない。

 

 

だんだん田舎でも澄んだ美しい川は山奥にしか見られなくなってきた・・

平地の川は人間がドンドン汚していく。

まるで地球と自分の体は別であるという感覚で・・・。

しかし忘れてはいけない。

 

私たちの体のほとんどは水。

 

そして地球の水としっかりとつながっているということを。

 

川を汚したり、海を汚したりすることは、つまり自分の体を汚していることと全く同じなのだ。

これからも水不足は加速する

前回の記事でも書いたが、地球全体の水のうち、利用できる淡水の水はたったの0.02%だ。

そして日本は地形の性質から水不足になりやすい。

 

さらに追い討ちをかけるのが世界人口の増加だ。

2015年現在で、世界人口はとうとう70億人を突破した。

このままいけば2050年には93億人になると予想されている。

 

私たちは水があるのを当たり前だと思っている。

ペットボトルに入った水がほんの100円ちょっとで買える。

 

しかし、その水はどこからやってきたのか?

 

それをしっかり思い出してほしい。

貴重な川や湖、地下水の水源からやってきたのである。

水に対する敬意が求めれる

これからさらに水不足になっていくことが予想される中で、私たちは意識を変える必要がある。

 

それは、

 

水に対する敬意。

 

水は私たちに命を与えてくれる。しかし、ときには水害を起こし、命を奪うこともある。

 

物事には必ず両面性がある。

水が、命を与え、奪う存在であることを考えたとき、現代の私たちに足りないものが見えてくる。

 

次回、4.水の流れにまかせて生きるつづく・・・