塩は人間が生きていくためには絶対になくてはならない。
昔から人類はそのことを深く知っていた。
そのため、命の源である塩は昔から世界を動かすほどの力をもっていた。
今回は、塩がどれほど人間が生きていくために重要視されてきたか?
世界が昔から塩とどのようにつきあってきたのか、その歴史を探っていく!
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狩りから農耕へ
昔、人びとは狩りをして動物の肉や魚介類を食べていた。
動物の肉や魚介類には塩分が含まれており、それで体内の塩分濃度を保つことができていた。
しかし、農耕生活に入るようになると、人々の食べ物も変わっていく。
ヒエ、アワ、イネ、ムギなどの植物を食べるようになった。
じつは植物にはカリウムがたくさん含まれていて体内のナトリウムを体外に出してしまう働きがある。
これにより、人々は意識的に塩を摂る必要性が出てきたのだ。
それが塩の生産につながっていく。
欧米でも動物のエサとして
農耕生活が中心になっていく日本に対して、欧米では肉中心のままであったため、植物が主食となる日本人と比べて塩はたくさんはいらない。
しかし、狩りばかりでは肉にありつける日とそうでない日がでてくる。
そこで野生動物を狩っても殺さず、そのまま飼育して食用として繁殖させていくようになった。
人間が食べ物を植物中心にすると塩がたくさん必要となるように草食動物もそれは同じだ。
人間が1日平均10gの塩を摂るように草食動物たちもたくさんの塩を必要とする。
野生動物を飼育するにはまず塩をエサに混ぜてやらなければならない。
そこで人々は塩を求めて、野生動物の足跡を探して追っていった。
すると必ず足跡は動物たちの塩なめ場である岩塩や、塩泉などにたどり着くのだ。
このように人間だけでなく、動物、とくに草食動物も、生きていくためには塩が欠かせない。
人々はこうして塩を確保し、食用の動物を飼っていくことを可能にしたのである。
保存に適した塩
人々は、やがて、塩は食べるだけでなく食べ物の保存にも適していることを発見する。
保存としての塩の働きを最初に気付いたのはエジプト人ではないか?という説がある。
中国では塩漬けの魚の記録は紀元前2000年に始まる。
しかし、エジプトの墓で発見された塩漬けの魚と鳥はそれよりもはるかに古い。
肉を塩に漬けると、塩が微生物が成長するための水を吸収していく。さらに塩自体が微生物を殺す。
古代の塩化ナトリウムから発見された不純物には硝石などが含まれ、これはさらに強力な殺菌力をもつ。
タンパク質は熱で溶けるが塩にも溶ける。
したがって塩漬けには加熱調理と似た効果があるのだ。
このように塩は食物を長期保存することができるものとして、さらに人類に不可欠なものとなっていく。
経済を動かしていく塩
塩は人間が生きていく上で、その大切さから、経済を動かしていくようになる。
イギリス人もオランダ人もフランス人も塩を探した。
この万能の魔法薬を見つけさえすれば、魚があふれる北アメリカの海を無尽蔵の宝物庫に変えることができるのだ。
このように世界の国は塩を万能薬として扱うようになっていく。
【古代ギリシア】
奴隷を買うときにお金の代わりとして、奴隷の体重と同じ重さの塩と交換した。
【古代ローマ】
兵士の給料は塩で支払っていた時代がある。
現在の給料という意味の言葉サラリーは「兵士の塩のお金」という意味からくるサラリュウムからきている。
【中国】
塩を税金がわりに納めさせていた。
もしも許可なく塩を作ったり売ったりすると死刑などの罰を与えた。
【日本】
江戸時代、塩作りが行われている藩では、塩のとりあつかいを藩がしきっていた。
そして勝手に塩を作ったりしないように厳しくとりしまっていた。
このように塩はその存在の大きさから、世界の経済や政治と絡みあい、歴史を動かしてきたのである。
塩にまつわる風習
人間の健康維持や、食物の保存ができる塩は、神秘的な神の力が宿ると信じられてきた。
その神秘的なパワーを生活に生かそうと昔から世界中でさまざまな風習が生まれていく。
【すもうと塩】
すもうの試合では、力士が塩を思いっきり土俵にまく。
すもうの誕生は田畑の豊作を神に祈るための祭りであり、土俵は神聖な場所とされ、清めとして塩がまかれる。
【玄関に盛り塩】
日本では清めのために今でも玄関に盛り塩を置く家やお店をみかける。
だが、中国の玄関の盛り塩はお客を呼び込む意味合いもあったという。
門前に盛り塩をおいておけば、皇帝が乗った牛が塩をなめにやってくる・・ということからきている。
ほかにも塩はその神秘的なパワーから私たちの生活に絡んできた。
さらに塩にまつわる格言も多い。
【敵に塩を送る】
誰でも一度は聞いたことのあるこの言葉の由来は戦国時代。
戦いの中、塩を入手できなくて困っていた武田信玄。
それを知った敵将軍の上杉謙信が武田側に塩を送ったというもの。
塩がなくては戦える力を兵士はもてない。
そこであえて上杉謙信は塩を送ることで、互角に戦おうとしたのだ。
兵糧攻めなどがよく行われていた戦国時代で、もしこの話が本当ならば、上杉謙信の器の大きさを感じる美談である。
このように、塩とは世界の歴史の中で、ただの食べ物ではなく、ただの保存に使うためのものではなく、塩の存在で歴史が動いてきたといってもいい。
これだけ世界の歴史的にも重要な塩なのに、現代に生きる私たちは塩についてあまり深くは知らない。
塩はどのように生産されて私たちの元にやってくるのだろうか?
次回、「4.塩の種類と日本の塩事情」つづく・・・